TUBE(チューブ)とは、1985年6月にデビューした日本のバンドである。 「夏といえばTUBE」と言われるほど、夏をテーマにしたヒット曲が多いことで知られ、1990年から2004年までシングル連続TOP10入り(15年、歴代2位)の記録を持つ。音楽制作はビーインググループの「ZAIN PRODUCTS」、所属レコード会社は「ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ」。 マンスリーマンション 目次 [非表示] 1 メンバー 2 概要 3 歴史 3.1 メンバーの出会い〜デビュー 3.2 1980年代 3.3 自作曲に移行した1989年〜 3.4 1994年後半〜2000年代 4 略歴 5 ディスコグラフィ 5.1 シングル 5.2 シングル(Remix Version) 5.3 シングル(レコードのCD化) 5.4 DVDシングル 5.5 その他(8cm CD) 5.6 オリジナル・アルバム 5.7 オリジナル・アルバム Karaoke Version 5.8 ミニ・アルバム 5.9 ベストアルバム 5.10 バラードベストアルバム 5.11 参加アルバム 5.12 ビデオ・DVD 6 タイアップ一覧 7 エピソード 8 TUBE DAY 9 関連項目 10 参考文献・脚注 11 外部リンク 津田沼一戸建て [編集] メンバー 前田亘輝(まえだ のぶてる、1965年4月23日 - ) / ボーカル、作詞(リーダー) 神奈川県厚木市出身。血液型はA型。前田を知らなくても歌声を聴けばTUBEを連想させるインパクトの強いソウルフルなボーカルを持っている。近年は他アーティストに詞、楽曲を提供するなど作詞家、作曲家としても活動、音楽プロデューサーとしても活躍している。尚、英単語・英文法の誤用が目立つのが欠点とされている。 春畑道哉(はるはた みちや、1966年11月5日 - ) / ギター、キーボード、作曲、コーラス 東京都町田市出身。血液型はA型。ソロワークスではインストゥルメンタルながら既に8枚ものアルバムを発表。2002年5月、日本人アーティストとしては初めてFENDER USA社との専属契約を結び、ギター"Michiya Haruhata Stratocaster"を使用。 角野秀行(かくの ひでゆき、1965年7月6日 - ) / ベース、コーラス 神奈川県座間市出身。血液型はA型。趣味は写真、バイク。かつては、ユニット「Riding」として活動をした。 松本玲二(まつもと りょうじ、1966年5月30日 - ) / ドラムス、パーカッション、コーラス 神奈川県座間市出身。血液型はAB型。インテグラワンメイクレースに出場するなどレーシングドライバーとしても活躍している。国内トッププロドライバーが参加するスーパー耐久シリーズで、2005年シリーズ第8戦、2006年シリーズ第7戦と2度優勝している。 不動産担保ローン [編集] 概要 サザンオールスターズの一般的に広く知られる「夏バンド」というイメージを参考に、そのビーイング版として長戸大幸プロデュースで結成されたという。その為か、ビーイング系としては珍しくテレビなどへの露出が多く、プロフィールも公表している他、バラエティ色の濃い番組への出演もある。 バンド名はサーフィン用語の「チューブライディング」に由来する。アマチュア時代は「パイプライン」というバンド名で活動し、デビューした1985年はバンド名を「The TUBE」としていたが、北海道文化放送の「サウンドクラブ630」に出演した際、姓名判断師に「画数が悪い、名前の"The"を取ればバンドは良い方向へ向かう」と言われ、翌1986年、3rdシングル『シーズン・イン・ザ・サン』発売前に、正式に「TUBE」と改名。改名後は見事にブレイクし、息の長い活動を行なっている。 湘南のイメージがあるが、結成地は神奈川県座間市であり、メンバーの出身地は神奈川県央地区と都下である。(この事で桑田佳祐から「アイツらは湘南じゃねぇ、湘北だ」とネタにされていた) シングル曲は1980年代、作詞に亜蘭知子、作曲に織田哲郎、栗林誠一郎の提供曲が続いたが、1989年の「SUMMER CITY」以後、自作曲に移行する。 「夏といえばTUBE」と言われるほど、1990年代は夏のみの活動がほとんどで、冬季のリリースは少なくなり、夏以外はソロ活動が目立つようになるが、近年は夏だけでなく秋冬にもシングルをリリースしたり、冬でごめんねツアーを行ったりしている。デビュー当初の80年代も1年通して活動していたが、夏バンドのイメージが強くなりすぎた為、夏に特化していくようになった。 レコード会社はデビュー当初からソニー系で、ソニー以外のレーベルへの移籍は一度もしていない。2007年現在のレーベルはソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ、音楽制作はビーインググループの「ZAIN PRODUCTS」が担当している。 実はミリオンヒットシングルが無い(オリコン調べ、日本レコード協会認定共に)。最高売り上げを記録した「夏を抱きしめて」は約94万枚(アルバムでは「終わらない夏に」「TUBEst II」がミリオンヒットを記録している)。 [編集] 歴史 武蔵野マンション ボーカルの前田は高校時代よりビーイングの事務所に通い[1]、また神奈川県内のライブハウスで活動していた。同時期、前田のむかしからの友人であるベースの角野も神奈川県内のライブハウスを中心に活動していたが角野が高校時代にキャバレーでライブ演奏をした際に友人を通じて前田と出会っている[1]。また松本は角野が高校で属していた部活の後輩である。そしてビーイング主催の音楽祭を通して知り合った前田、角野、松本、春畑の4人でプロデビューを前提として[1]アマチュアバンド「パイプライン」を結成。プロデビューで正式にバンド名を決める際に「パンドラ」というバンド名の候補もあったが[2]、1985年6月1日にバンド名「The TUBE」としてプロデビューした。 [編集] 1980年代 デビューした1985年、TUBEはシングル曲を外部作家に委ねていた。しかし翌1986年より楽曲はビーイング内の作家にシフトする。その第1弾となったのが3rdシングル『シーズン・イン・ザ・サン』である。このスタイルが1988年まで続く。1987年からは前田、春畑がTUBEの活動と並行しソロ活動を開始する。また、同1987年よりTUBEの楽曲作家陣で構成された渚のオールスターズの活動も開始する。ところが、1988年5月、角野が交通事故を起こした事で暫く活動を自粛。解散も含め真剣に話し合った結果、活動継続を決めた[1]。翌1989年から全曲TUBEのメンバーによる自作曲へと移行することになる。 武蔵野タワーズ [編集] 自作曲に移行した1989年〜 1989年リリースの9thシングル「SUMMER CITY」より自作曲に移行したTUBEは、またひとつのスタイル「自作」を確立することとなる。編曲のみ明石昌夫、和泉一弥等が携わる。前田曰く、「1989年がTUBEにとって本当のデビューであった」とデビュー10周年の1994年に当時を回想している[3]。また春畑は、「織田哲郎さんは4人がアマチュアの頃からコピーしてたくらいだから曲を書いてもらえるのが嬉しかったが、作曲家の提供曲よりカッコ悪くてもいいから自分たちの音楽をやりたかった」[4]と当時を回想している。プロデューサーである長戸大幸はTUBEのメンバーが理想とする「自作」を許可し[4]、1989年以降は全曲の作詞・作曲をメンバーで手掛けるようになる。1990年からは完全に作詞・作曲・編曲がTUBEのメンバーによるものとなる。1990年リリースの11thシングル「あー夏休み」の制作過程ではプロデューサーの長戸大幸提案の曲調に戸惑う[1]が、それは従来のシングル曲路線と全く異なる曲調だったからである。その戸惑いの中、「あー夏休み」はヒットし、翌1991年の13thシングル「さよならイエスタデイ」も「あー夏休み」同様にラテンリズムのサウンドであり、ここでまたTUBEはひとつのスタイル「ラテンサウンド」を確立させることとなる。1991年以降はシングル曲のセールスも50万枚以上をコンスタントに記録しTUBEの黄金期に突入する。1993年には、16thシングル「夏を待ちきれなくて」がTUBEとして初めてオリコンチャートで1位を獲得、次いで同年の17thシングル「だって夏じゃない」、1994年の18thシングル「夏を抱きしめて」もオリコンチャートで1位を獲得、「夏を抱きしめて」はTUBEのシングル曲で最大のセールス93.9万枚をマークするなど絶頂期であった。 1994年後半〜2000年代 1994年5月リリースの「夏を抱きしめて」は最大セールスを記録したが、その2ヶ月後にリリースされた19thシングル「恋してムーチョ」のセールスは伸びなかった。セールスこそ伸びなかったがライブを中心とする活動は精力的であった。この1994年はTUBEデビュー10周年を迎えた年であり、夏の野外ライブも例年に比べ多数開催され、全国10ヶ所公演となった。また5年ぶりに夏季以降の活動を行ない、10月には20thシングル「Melodies&Memories」をリリース、11月には初のバラードベストアルバムで、シングル曲と同タイトルの「Melodies&Memories」をリリース、ライブ活動も1989年以来となる冬のライブツアー『冬でごめんねツアー』が開催された。しかし翌1995年からのシングル曲のセールスは引き続き伸び悩みを見せる。それでも「きっとどこかで」「虹になりたい」などスマッシュ・ヒットを挟み、紅白歌合戦の出演もときにしながら、2004年までの間、1990年からの「連続シングルTOP10入り」を果たすなど実績を残している。 湘南 不動産 [編集] 略歴 1985年 5月30日 - 東京プリンスホテルにて「デビュー・コンベンションライブ」を行なう[1]。 6月1日 - 1stシングル『ベストセラー・サマー』でメジャー・デビュー。 11月24日 - 初の単体コンサートを逗子マリーナの会場で行なう[1]。 1986年 「TUBE」と改名する。 4月21日 - 3rdシングル『シーズン・イン・ザ・サン』リリース。 1987年 逗子 不動産 2月26日 - 前田亘輝はアルバム「Loose」で、春畑道哉はアルバム「Drivin'」でソロ活動を開始。 キリンレモンのCMにも出演していたこともあり、この年の夏は「TUBEと行くサマークルーズ」と題した海外への船旅が懸賞として実施された(1988年も実施予定であったが角野の事故で中止に)。 1988年 4月30日 - 7thシングル『Beach Time』リリース。 5月 - 角野が交通事故を起こしたため、暫くの間バンド活動を自粛。この事故で車に同乗していた彼女が亡くなるという大事故だった[1]。角野が復帰するまでベースは栗林誠一郎が代役を務める[1]。 1989年 この年より完全にメンバーによる「作詞・作曲」の楽曲へと移行する。(編曲には明石昌夫等が携わる) 5月 - 角野秀行が復帰。 1990年 5月21日 - 従来のシングル路線とは極端に異なった11thシングル「あー夏休み」をリリース。 日本有線大賞にて「あー夏休み」で有線音楽優秀賞を受賞。 1991年 日本有線大賞にて「さよならイエスタデイ」で有線音楽優秀賞を受賞。 1992年 日本有線大賞にて「夏だね」、「ガラスのメモリーズ」で有線音楽優秀賞を受賞。 1993年 Jリーグの開幕戦の横浜マリノスvsヴェルディ川崎戦(国立競技場)にて前田が国歌斉唱、春畑がJリーグのオフィシャルテーマソング「J'S THEME」をピッチで披露した。 5月24日 - 16thシングル「夏を待ちきれなくて」がオリコンチャートで1位を獲得。TUBEとしてはオリコンチャート1位獲得は本作が初。 7月12日 - 17thシングル「だって夏じゃない」が前作に続きオリコンチャートで1位を獲得。